臨時教員問題とは何か
新潟県臨時教員問題を改善を求める会
1 臨時教員問題は教育の根幹
「法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者であつて、自己の使命を自覚し、その職務の遂行に努めなければならない。このために教員の身分は、尊重され、その待遇の適正が、期されなければならない。」(教育基本法第六条二項)
教育を受ける権利は基本的人権であり、その実現のために教員が教育権の保障の役割にふさわしい地位を享受することが必要である。教員の雇用の安定および身分の保障は、国民の教育権を保障する上で不可欠である。この点で、義務教育における臨時教員問題は、臨時教員の単なる雇用問題ではなく、国民の教育権の根幹に関わる重要な問題である。これは「教員の地位に関する勧告」(1)の根本になるものである。
つまり、臨時教員問題は一般職の臨時採用問題と性質的に異なり、教育の問題として受けとめる必要がある。このことは、教員養成、教員採用についても同様であり、教育の達成の面からみることを忘れ、単なる就職問題と混同してはならない。教育の問題を労使問題や教員の生活補償のみの問題に限定してとらえることは、結果的に教育の主体者である子どもの権利を忘れた議論につながる。臨時教員問題は、教育の主体者の子どもの権利をどのようにとらえているかの試金石ともなりうる性格を有している。それゆえ、行政機関、学校、教員、団体の教育に対する姿勢は、臨時教員問題に如実に現れざるを得ない。
一方、教育保障の進んでいる東京都などでは臨時教員問題が、そもそも教育問題として存在せず、逆に遅れた県では問題にもしない、その中間の県では多様なレベルで問題となっている。以下、臨時教員の実態を明確にした上で、個別の議論について検討する。
2 臨時教員の実態
新潟県の臨時教員の実態についてのまとまった資料はない。「新潟県市町村立学校臨時職員取扱規程」、「新潟県市町村立学校臨時職員取扱規程運用通達について」により、運用されている。しかし、正採用の教員と同じ責任と職務を負わされているために、臨時教員の不利益な取り扱いの実態や問題点は、臨時教員が声を出さない限り、まったくわからないのが実状である。このことは、職場で正採用の教員が臨時教員と職務をともにしているだけでは、臨時教員問題を知ることはできないことを意味している。臨時教員問題を知るためには、臨時教員の中で、臨時教員とともに活動する母体が必要となってくる。この意味から、「新潟県臨時教員問題の改善を求める会」(以下、「求める会」とする)が結成されたことは、臨時教員の実態を知り、それを県民に知らせていくために不可欠であり、臨時教員問題の改善に大きな役割を果たしている。
2.1 離職期間
臨時教員の雇用については、そもそも二種類ある。一つは、地方公務員法二十二条による臨時的任用であり、正規職員の病気休暇及び季節による緊急的かつ一時的な職、または任用候補者名簿がない場合に限定し、六ヶ月を越えないことを原則としている。もう一つは、地方公務員の育児休業等に関する法律第六条に規定される育児休業に伴う臨時的任用である。この場合は、育児休業期間を限度として採用される。
しかし、新潟県の人事委員会は、正採用と臨時採用の区別を付けることを目的に、一年を越えて採用せず、必ず失職の期間を設けている(2)。これを離職期間と言い、全国の臨時教員の離職期間の実状を調査した結果を表1に示す。教員については、臨時的任用をそもそもしない自治体から、一ヶ月もの離職期間を規定している県まであるが、新潟県のような臨時教員の離職期間を一ヶ月にしている県は少数であることが、明白である。また、臨時教員の離職期間を一日にしている県でも、一般の臨時職員は一ヶ月以上がほとんどである。これらの県では教員、子どもの教育にたずさわる教職の特殊性を正しく理解し、人事を行っているが、新潟県の場合は、教育を一般事務と同様に考えていることが現れている。
臨時教員の場合は、常に臨時の職に恵まれる訳ではなく、数カ月の臨時職をつなぎながら、その間は無職でいることが多く、生活の困難をそもそも抱えている。その一方で、離職期間を一ヶ月に設定されると職があったとしても任用できないので、臨時教員をさがすのに、校長もたいへん苦労することになる。
また、一ヶ月の離職期間は学校現場でも、授業および学校運営で支障をきたすことになる。そのために、できるだけ夏休み期間である八月に離職期間をもってくることになる。その結果、夏休み期間中は、担任のいないクラスが出てくる。クラブの指導、家庭訪問、登校日、プール当番などの多くの仕事を辞令なしのただ働きで行わざるを得ないのが、現状である。
2.2 病気休暇
現在、新潟県は臨時教員の病気休暇についての定めをもっていない。そのために、臨時教員は病気になると年次休暇を使うしかない。年次休暇が足りない場合は、退職を強要される。年休のない臨時教員は、風邪を引いても、熱を出しても休むことはできない。休みたければ、退職願を出して退職するしかない。実際に、結石の手術で入院したある臨時教員は、年次休暇が足りなくなり退職願を提出させられている。手術の前後にもかかわらず、病院の枕元で公然と退職願を書くように強要され、重大な人権問題である。しかも、教育者であるべき校長が教育事務所の命を受けて、病床にある人間に、再三にわたり退職を強要しているところに、教育問題としての根深さを感じさせる。これに抗議するのも、職場同僚や教職員組合ではなく、「求める会」であるところに、教員社会の状況が見え隠れする。
このケースは、退職後に再採用になったけれども、当該教員の育児休業期間満了を辞令期間とせず、その臨時教員の離職期間にこだわり、残りの一ヶ月半の間をさらに別な臨時教員をわざわざ採用している。夏休みの家庭訪問先で、父母から「育児休業が終わるまでよろしくお願いします」とのあいさつに、返す言葉もなく、つらい思いを胸に抱いて家々を訪問したとのことである。子どもの教育や学級経営よりも、労使問題としか教育をみていない教育委員会の体質が問われなければならない。
病気休暇ついては,これまでの運動が実り1999年度4月より取扱規程に制度化された.
2.3 採用日
臨時教員には、採用日がいつにしてもらえるかが、重要である。正採用であれば、採用日は教員人生において、一度しかないので問題にはならないが、臨時教員は、この問題で年に何度も嫌な思いをさせられる。採用日が遅れれば、通勤手当などの手当が支給されない。採用の期間によっては、働いてきたはずなのに、期末・勤勉手当(ボーナス)も支給されないケースもある。ある臨時教員の場合は四月一日付けで辞令を交付され、職員会議、その他で職務に就いているのに、辞令を差し替えさせられ、四月四日に変更された例もある。公印をついた労働契約書を一方的に変更し、不利益を相手に平気で強要する悪質なことが公然と行われ、組合の抗議にも開き直っている。
これ以外にも、八月の離職による寒冷地手当のカット、教育職俸給表の一級による賃金差別、十七号で昇給ストップ、健康診断の費用負担、引継日や辞令式を勤務日数に加えない、など枚挙にいとまがない。同じ職場で働く教員に、このような差別的格差を持ち込むことにより、教育効果が上がるはずもないのは、当然のことであろう。
3 臨時教員の法的問題
前章では、臨時教員の待遇について述べたが、ここでは長期間にわたる臨時教員の存在の法的問題について検討する。
3.1 勤務実績の評価
臨時教員の勤務実績を評価され、正採用になるのであれば、臨時教員問題は現在のような教育問題にはならない。地方公務員法十五条(任用の根本基準)では「職員の任用は、この法律の定めるところにより、受験成績、勤務成績その他の能力の実証に基づいて行わなければならない」としている。また、昭和三十年代に定数内の臨時職員が多いために、臨時職員の定数化をする場合の選考基準を示した(昭和三六年自治庁事務次官通達)。そこでの基準は、相当長期間勤務していること、勤務実績良好であること、職務遂行能力が適正な方法により実証されること、の三つの基準を挙げている。
これらの原則からすれば、何年間も臨時採用してきた県教育委員会自身が、臨時教員の職務能力の自ら証明している。もし、これを否定するならば、職務能力に問題のある者を再三にわたり採用している教育上の責任問題になる。教員採用においては職務能力を重視するために、競争試験のみでなく選考の形式をとっている。その職務能力が、現に試されている臨時教員の実績を考慮することは、教員や公務員の採用の基準としても法的に合致し、優れた教員の採用のためにも好ましいはずである。
3.2 正採用への切り替え
臨時から正採用への切り替えについても、「臨時職員の身分取り扱いについて」(昭和三一年自治庁次長通知)では、安易な再雇用をなどを極力避けるとともに、すみやかに順次定数内の職員に切り替え、計画的に臨時職員を減らすこと、また定数内に切り替えるまでの期間においては、一般職員と均衡を考慮して改善をはかることを指示している。そもそも教員の身分が臨時で不安定であれば、教員としての研修および職務の継続性を損なわれ、教育の荒廃をまねくことにつながる。
臨時教員の任用は本来制限されていることは、「特別の事情があるときは、第一項の規定にかかわらず、教諭に代えて助教諭又は講師を、養護教諭に代えて養護助教諭を置くことができる。」(学校教育法第二八条一二項)でも明らかである。これらの法的根拠にもかかわらず、依然として臨時教員の処遇を長期にわたり受け続け、採用年齢を越えても正採用をしない例がある。安い賃金で教員を雇うのが、よりよいと教育とはいえない。熱意、能力、実績のあるものを採用し、それらの基準で昇任するのが、正しい人事の原則であり、教員の権威は、それに由来するのではないのだろうか。
4 臨時教員を作り出しているもの
4.1 教員採用制度
臨時教員を作り出している最も大きな制度問題は教員採用制度である。教員選考の基準はどうなっているのかも明確にされずに、教員採用が行われている現実に、疑問と批判があって当然である。全国では唯一の選考基準の公開が名古屋市で行われた(4)。その内容は、選考基準といえる内容ではなく、試験結果のとりまとめ手続きとしか言えないものであった。他の県などでも情報公開条例に従い教員採用についての公開を申請しているが、公開は実現していない。情報公開条例も教育行政に対しては、特別な配慮がされているのである。採用試験が復元され、問題集も市販されている現実を考えると、採用試験が公開しないのは、世の批判に耐えられないからに他ならない。一般の入学試験は、公開して世の批判を受けとめ、真剣な努力を重ねている。入学試験制度に対する信頼もこのようなところから生まれる。教員採用もぜひ公開されるべきである。
採用選考とは、競争試験による優劣ではなく、まず職務能力の有無の評価である。そのためには、教員としての資質とは、どうあるべきかを明確にする必要がある。それにより、教員養成のあるべき姿や採用基準も明確になり、優れた教員政策が可能になる。教員選考の基準が示されないために「服装や言葉遣いなどの生活態度から受験対策に及ぶガイダンスを実施して、早くから就職に対する認識を涵養する」(5)とする教員養成から教員予備校に変質しているお粗末な大学すら現れている。その一方で、コネ採用による事件も現れ(6)、深刻な事態を呈しているが、他県の問題と安易にかたずけられない。その他、採用制度の研究は他の文献(7)に詳しく参考になる。
4.2 人事委員会と教育委員会
臨時教員問題が解決されない原因は、県人事委員会と県教育委員会の責任が大きい。臨時教員制度についての県人事委員会と「求める会」の懇談では、自らの権限を「県の労使問題を扱うこと」に限定し、そこから一歩も出ようとしない。臨時教員の取扱規則の教育上の問題点を述べると、「教育の問題は教育委員会の仕事ですので」と言う返事が帰ってくる。「給与、勤務時間、その他の勤務条件厚生福利制度その他職員に関する制度について絶えず研究を行い、その成果を地方公共団体の議会若しくは長又は任命権者に提出すること」(地方公務員法第八条第二項)というのが本来の権限であり、教員人事についても積極的な研究と調査をして、よりよい教育の実現に提案活動するのが本来の職務である。
一方の県教育委員会からは、教育上の支障があり、臨時教員の離職期間を検討すべきとの提案はこれまでに一度もなく、人事委員会、知事部局、教育委員会の三者の見解のずれはない、というのが懇談での県人事委員会の見解である。
5 差別・分断と誤解を越えて
これらの事実から臨時教員の存在は、自然に出てきたものではなく、明確に作り出されてきたものである。その目的は、安上がりの教員政策、首切り要員、教員の統制分断と特徴づけている(8)。資本主義の労働者攻撃の三種の神器「賃金カット・首切り・統制」とまったく同様なものが、教員の中に持ち込まれていることに気がつくべきであろう。
特に、教員集団の中に「採用選考に落ちたのは努力不足」、「できの悪い教員」、「病休、産・育休のために臨時は必要だ」という、臨時教員に対する偏見とその存在を当然視する事実もある。新潟県教組は、臨時教員が組合への加盟申込みをしても加盟させない事実もある。臨時教員問題は組合の活動方針に加えていても、これではどうしようもない。
臨時教員問題を解決して行くべき主体である教員の集団に、このような意識が知らず知らずの内に浸透していることが、教員分断の効果そのものである。先ほど述べた教員採用の問題や教員選考基準の問題を棚上げにして、何の根拠もないまま臨時教員問題を個人の努力不足に結論づけることは間違である。また、正採用教員の補充は、雇用の不安定な脆弱な教員体制でもかまわない。自分たちが休暇をとれれば、子どもの教育のことはどうでもいい。このような意識が、教員の間に浸透している限り、臨時教員の問題の解決は不可能である。
学閥問題(9)に象徴されるように、個々の教員の利益が子どもの教育権と引き替えられている。これと同様に、個々の教員の利益だけで、教員採用の問題や臨時教員の問題に対する視点が弱いのが、新潟県教員の弱点ではないだろうか。確かに、日々の多忙化が広がるなかで教育問題は山積している。だが、それらの問題は一教員で解決できる問題ではなく、すべての教員が一致協力して解決すべき課題である。よりよい教育を実現する課題を、教員の個人的課題にされてしまうことが、強まっているように感じるのは、私たちだけであろうか。
日教組の方針転換は重大問題である。良識ある教員が、日教組の変質問題をどのようにとらえているのかが、注目される。なぜならば、臨時教員問題の解決に努力し、成果をあげている県のほとんどが、全教傘下である。名古屋の場合は、全国的にも注目される活動を行い、臨時教員運動の大きな役割を担っていにもかかわらず、臨時教員問題の解決に結びつく成果がなかなか得られない。名古屋、愛知の臨時教員も新潟と同じように県教組への加盟拒否と全教のないところである。教育のほんとうの発展を望んで、勇気と展望を持ってあらゆる教育問題に、正面から取り組んでいる自覚的教員の組合がある県でこそ、臨時教員問題も解決できることが、今年の全国臨時教員問題学習交流集会で感じられた。新潟集会では新潟からの参加者が百三十名にも達した。狭い自らのことに専念するのでなく、教員が教育本来の目的のために団結する兆しと可能性が、新潟県にもあるように思われる。新潟県の教育の新たな発展に期待したい。
臨時教員は任用期間が短い上に、職場に複数の臨時教員がいることは少ない。また、教員採用という圧力がかかっている。このような中で臨時教員のサークル活動は、組織しにくい特徴を持っている。この点で、活動の困難を本質的に抱えているために、援助なしには臨時教員活動はできにくい。財政的にも苦しく、活動の援助が必要となっている。
臨時教員の運動なくして、教育問題の解決はない。なぜならば、これまで見てきたように教員採用、民主的職場づくり、青年教師の成長、教員の身分保障、労働条件の改善など、すべてにおいて関係しているのが臨時教員問題であるからである。
引用・参考文献・注
(1) 教員の地位に関する勧告 一九六六年一〇月、教員の地位に関する特別政府間会議で採択。
(2)育児休業により任用期間が一年を越える場合はその後に離職期間を設けるのが原則であるが、次の採用、寒冷地手当、学校職務の都合から、夏休みに離職期間を入れる辞令が多い。
(3)臨時教員の病気休暇については定めがない。「市町村立学校職員の勤務時間、休暇等に関する条例」第二十条によれば、県教育委員会が知事と協議して定めることが可能である。
(4)一九九三年十一月十五日、名古屋市公文書公開条例に基づき選考基準が公開された。この件は非公開とされたが、不服請求が提出され、市公文書公開審査会が決定をくつがえし、公開するように答申したものである。
(5)富山大学教育学部の教育と研究、九一ページ、一九九三)
(6)九〇年には徳島県で前教育長松本富夫が教員人事および教員採用に絡んだ収賄で起訴された。山口県でも教員採用汚職事件で問題を起こし試験公開と不合格者に対して不合格理由明示を行うなどの対応を要求された。
(7)神田修、土屋基規著、教員の採用、有斐閣(一九八四)。
(8)第二四回全国臨時教員問題学習交流集会報告集、五二ページ、(一九九三)。
(9)学閥の研究については、本誌の第九号から三〇号にわたり、詳細な研究が連載されている。
出典: にいがたの教育情報(1995/11),pp.10-17,にいがた県民教育研究所.